日々のエッセイ
10.42015
なりわいとしての林業は可能か
山里の過疎化の問題。「なりわい」がないから、という話だが、「林業」はどうだろう。
これはかなり難しい。現状では、伐採して搬出して販売しても、赤字になるばかり。輸入木材に押され、在来工法が減って、木を使わない建築が主流になってきている。木の需要は減る一方。林業での生業はかなり難しいように思われる。
ただ、そのなかでも、やり方はある。これは今朝、聞いたはなしだ。近隣の集落では共有林を伐採のために雇用するという。5年間の「森林経営計画」をもとにして、1年間に17町歩の森林を伐採する。効率的な森林整備と資源の活用を進めるための支援金というものが行政から出る。その資金を元に雇用が発生する。
さいわいなことに、その集落には広大な共有林がある。この計画によって年間10名、30年間分の仕事があるという。杉と檜ばかりの森が伐採されて、広葉樹の森に生まれ変わっていく。森の保全、水源の涵養に役に立つ。生物多様性のフィールドになっていく。そのことで生計を立てることができる。このあたりも探求していきたい。
Copyright © 春野くらし
この記事へのコメントはありません。