日々のエッセイ

なりわいとしての有機農業の道は可能か

山里には、ありあまる山林と耕作放棄地がある。その活用によっては、「なりわいの道」もひらけるかもしれない。農業といっても、従来の慣行農法(農薬と化学肥料)では、大規模農業に太刀打ちできそうにない。小回りの効く、手間のかかる有機農業(無農薬、有機物の堆肥による栽培)がいいかもしれない。安ければいいという時代ではなく、多少高くても、安心と安全な食を求める人びとは多くなってきている。ということで、ひとつの道は、耕作放棄地を活用した有機農業だ。

過疎化のすすむ山里には定住促進が必要だが、「よそ者」を歓迎しない集落もあるし、「空き家」はあっても貸してくれない、などいろいろ難しい。過疎化の本質は、「仕事」がないこと、なりわいとして成り立たないことである。仕事があれば、定住促進など叫ばなくても、自然と人がやってきて暮らしていく。子どもが生まれ、山里に活気がでてくる。

だが、仕事がない。サラリーマンとしてまちなかに通うには、遠すぎる。土木事業もない、山林業は衰退、お茶もやっていけない。もとより農業では自給のみ。

そこで、仮称「6次産業研究会」のようなものをつくり、土地の蘇り、有機栽培の仕方、加工の方法、販売のネットワークづくりなど、衆知を集めて磨きあっていく流れを作る

先日「ラブファーズカンファレンス」を春野町で開催して、楽舎が共催でお手伝いさせてもらった。全国から有機農業をめざす人たち500名近くが集った。有機農業で村おこしをした先達たちの話も聞くことができた。なりわいとしての有機農業の道、そんなことを漠然と、かんがえはじめている。では、林業はどうだろうか。それは別稿で述べたい。

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