日々のエッセイ
1.12019
いまの日々の暮らしこそが、宝の山である。まさに、心を磨く修練の道だなあと
大晦日の深夜、ランを連れて川沿いの道を散歩する。真っ暗なので、ヘッドランプをつけて歩く。ランプの光に照らされて、吐く息がモワっと白い煙のように見える。その前を、ランが、たったったっと歩いていく。
葉っぱがすべて落ちた冬木立が白く輝く。歩く道を照らすと、草と土がキラキラ光っている。いたるところで、輝いている。水分が凍って、氷のつぶつぶがランプに反射して光るのだ。地上の星みたいだ。
夜空を見上げれば、満天の星。くっきりと冴えて見える。あれはオリオン、あれは北斗七星。北極星。そしてこれは、天の川。
ざーざーと川の水音が聞こえる。やがて、ごお~~~ンと寺の梵鐘がなる。年が明けたのだ。
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2019年か。この山里暮らしは、2月でもう9年目に入る。なんとも、はやいものだ。
歩んできたこの道は、これでよかったのかどうか。あの時、ああすればよかった、こうすればよかった。そういう思いは、次々と湧き起こる。あの時、ああしておれば……と夢想の世界に遊ぶこともある。
しかし、現実は、引き返すことはできない。すべてこれは、自分が選びとった最善の道であった。そう思うことにしている。
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何がよかったか悪かったか、わからないものだ。成功したことが、後の失敗の因となり、失敗したことが、後の成功の因ともとなる。
時々刻々とものごとは変化していく。自分の心も瞬間瞬間に変化していく。なにがしあわせで、なにか不幸なのか、いまの時点では、わからない。
うまくいっていることが、そのためにダメになることもあるし、いまダメでも、そのことがかえって飛躍になることもある。心のありようで、現実はちがってみえてくる。長い年月からみたら、またちがってくる。
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ともあれ、こうして山里に暮らして、たくさんのチャレンジをして、たくさんのことを経験させてもらえた。山あり川あり、そして谷底あり。そんなことに直面していく現実をあゆむ。
生きるということは、まさに体験するということ。かけがえのない体験を重ねて、学んでいく日々。こうして、なんとか元気で暮らしていけるという現実。これは、ありがたいことだ。
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「念念の化城(けじょう)念念の宝処(ほうしょ)」(御義口伝)という言葉がある。この現実というものは、仮りの城、幻のようなものである。しかし、この仮りの城こそが、宝そのものである、と。
いまの日々の暮らしこそが、宝の山である。まさに、心を磨く修練の道だなあと、思いつつも深夜の川沿いの道を歩んできたのだった。
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