日々のエッセイ
2.122019
空き家の解体にあたって式典を行った
空き家の解体にあたって式典を行った。といっても、大げさなのものではない。神主もお坊さんも呼ばない。池谷が神主兼お坊さん役だ。ぼくがつくった祝詞とお経を参列者に配り、その意味も説明して、みなで唱和した。
祭壇は、古くから使っていた茶箪笥だ。その横に、隣家が切ってくれたサカキをしつらえる。ちょこんと仏さま、お神酒に赤飯に野菜などを捧げた。
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家主は、神奈川から泊りがけでかけつけた。遺影(父と母、そして姉と弟)を持参された。遺影は祭壇の下に掲げた。隣家の夫妻、工事関係者、隣町の町会議員、地元の人など参列してくれた。
150年前の家である。家主が青年時代まで住みなれた家、親と兄弟たちが住み続けた家。親から子へと続く先祖累代、そして土地の神、あらゆる精霊たちに対して感謝を捧げた。
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家主から相談を受け、空き家を残そうと努めてきたが、住んでくれる人もあらわれず、建物を解体することに決まった。それで、解体のための式典を行ったのだ。
隣家の方が、赤飯を炊いて、甘酒も作ってくれた。みんなで食事をしながら、家主から暮らしの思い出を語ってもらった。
すぐ近くの川では、鮎がたくさん釣れた。天然の鰻も一夜で5匹もかかるほどであった。ホタルが庭まで舞ってきて、蚊帳の中に入れて遊んだ。そんな美しい自然とともにあった暮らし。しかし、一歳のときに父親が亡くなり、母親だけの暮らしは、さぞや大変だったろうと思われる。
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そのような思い出深い家なので、家屋を壊して廃棄物として処分するというのではなく、地元の人たちが解体を手伝い、廃材を活用してゆく。こうして手づくりの式典を行い、みんなで語らうことが、家が喜び、暮らしていた先祖、そして家主が喜ぶと思った。
いわば家の「看とりとおくり」。人のおくりであれ、家の解体であれ、縁する人が、心から感謝を捧げることこそ大切と思う。人賑わいが、神賑わい。人が喜ぶことが、諸仏、諸天、諸精霊、そして先祖が喜ぶことになる。解体の工事そのものは、12日から始まる。
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