日々のエッセイ
10.172018
マインドフルネス・ウォーキング
新しいヒントや発想が浮かぶは、歩くのがいい。思考の整理には、歩きながら喋って言葉化していくのがいい。
「逍遥学派」というものがある。師のプラトンと弟子のアリストテレスは歩きながら語らい、哲学談義をしているラファエロの絵画が有名だ。
アリストテレスは、歩きながら講義したと伝えられる。プラトンの師のソクラテスもまた、あちこち歩きまわっては、考えごとをしていたようにみえる。
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歩くのは、できれば森の中がいい。木漏れ日の中を歩くと気持ちがいい。空気がよくて、川のせせらぎ、風がそよいで葉っぱの揺れる音、鳥がさえずり、虫の音。
ドイツなど、まちなかの近くに、「赤ずきんちゃん」に出てくるような深い森があった。太い広葉樹があって、とってもいい散策コースだった。ニーチェのように、森の中を歩いていて突然の啓示が訪れたり、ベートーベンが創作するために歩いたような森と感じた。
この山里は、残念ながら杉と檜なので、その下を逍遥する気分はならない。まあしかし、この近くにあるほたる公園を毎日歩いている。
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歩きながらiPhoneに向かって、こうして音声入力しているわけだ。誰にも出会わないので、ぶつぶつしゃべっていても問題ない。もしも出会っても、誰かと電話していると思われる。そういうことができるだけでも、山里に暮らすありがたさ。
戸外で歩きながらだと、わりと前向きな考え方になる。これが、ロダンの「考える人」のようなポーズでいると、なにかこう考えあぐねているようになる。
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歩くとは、右足・左足が動くこと。その足の感触を味わいながら、どこへ行くというあてもなく、ぐるぐる歩いている。マインドフルネス・ウォーキングでもある。
そのことで、新しい発想が浮かんでくる。絶望的な落ち込み、自己否定的な考えには、なかなか陥りにくい。
歩きながら考え、ひとり喋って音声入力し、そのまま文字変換される。そして、発信ができる。いい時代になったものだ。これもまた、人生の幸せのひとつ。
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