日々のエッセイ
10.102016
人間の「ことば」の習得の過程
あかりが盛んに両拳を叩く。夜になったのに、外を歩きたいという意思表示なのだ。それは靴を履いて歩くというサインだ。それで、ランの散歩を兼ねて、ちかくのホタル公園を歩いてきた。
あかりはまだ、言葉はつかえない。あーとかうーとか、ばーばーとか。ネコをみると、ニャンニャンという程度だ。でも、「おとうちゃんのところに持っていって」というと、持ってきたりするので、頭のなかではわかっているのだろう。
それで、言葉の代わりに「ジェスチャー」を使って、意思を示すことできることを教えている。
人間の「ことば」の習得の過程は、とても興味深い。まず、自分をとりまく世界には、いろいろなものがある。それには「名前」がある、ということがわかってくる。世界には「名前」があることがわかれば、ひとつひとつ名前を覚えて使っていくことで、自分の意思を示すことができる。
あかりは、真っ暗なのに芝生の上をずんずん歩いていた。歩く感触を楽しんでいた。いま歩くことが、とっても楽しみな時代。足が使える。やがて言葉が使える。日々、自由を獲得していく過程を楽しんでいる。
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