日々のエッセイ
10.232018
鬼胡桃と大般若
ランを連れて、保育園に弁当を届けに行った。あかりは夜、なかなか寝ない。それで、起きるのが遅くなる。おかあちゃんも風邪だし、ヘトヘト。弁当を作る時間がなくなる。それで、まずは保育園に連れていき、昼前にお弁当を届ける。そして、夕方迎えに行く。一日3回、保育園に往復することになる。とっても近くだから、ありがたいことだけど。
─────────────────────────
帰りには近所の人と立ち話。この日は、岩本夫妻と。旦那のほうは、コツコツと鬼胡桃を割っていた。気田川の辺りには、数本の胡桃の大木が生えている。いまちょうど、実が落ちる頃。水につけておけば、皮が取れて硬い胡桃が現れる。
クルミを金床の上に置いて、金槌でたたく。ちょうど二つに割れる。キリで実を取り出す。かなり手間のかかることだ。それを、わがやにプレゼントしてくれた。なんともありがたや。
─────────────────────────
旦那のほうは、まったく無報酬で、ほたる公園の整備をされている。ホタルの池周辺の草取りから枝の剪定から。そして、ホタルの餌になるカワニナを遠方の沼に出かけては、探して運んでくる。
奥さんのほうは、通りの道端に山野草の鉢を置いたり、ツリシノブをかけたり丁寧だ。ぼくはいつも歩くたびに癒やされる。ありがたいなあと思う。
聞けば、となりの森町の田能という集落から嫁に来たのだという。
─────────────────────────
田能といえば、「大般若」の古い写経が残っているお寺がある。そのお寺で経典を見せていただいたことがある。書写されたのは、南北朝時代、14世紀のことだ。「大般若経」というのは、600巻もある。「般若心経」はそのエッセンス。おおもとの「大般若経」の量は桁外れに多い。書写するといっても、たいへんな手間だ、修行だ。
禅宗や真言宗の寺では、よく「大般若経」の転読が行われる。転読というのは、よんだようにみせかける、いわばパフォーマンス。お経はとてもながくて読めないので、ええーい!と気合を入れて、バラバラバラとお経に風通しをするわけだ。それで中身を読んだことにするわけだ。なかなか派手で庶民受けする行事だ。
それが、ひとつの加持祈祷になってやり、功徳があるとされている。災いを除き、天下太平・国土安寧などに効力がある。ましてや個人の現世利益をや、と。
─────────────────────────
その時代、遠江の守護は今川氏。それから、守護職は斯波氏に交替した。そうして、武田氏が攻めてきたり、家康が戦って破れ森町のそのあたりに逃げてきたりと、いろいろ戦国の物語の舞台ともなっている。そんな話をしたのだった。
Copyright © 春野くらし
この記事へのコメントはありません。