日々のエッセイ

村人たちとのやりとりメモ

耕作放棄地:ご近所のKさんは。85歳、妻との二人暮らし。お茶も大豆も田んぼもやってきたが、もうできないという。からだがついていけない。お茶は製茶にするのに高くつく。売ることもないので、親戚にあげてしまうだけ。子どもたちは町中に暮らして帰ってこない。子どもたちは、畑仕事をしようなんてまったく思わない。ということで、もう使わないから、と天日干しのナル(細長い丸太)のセットを譲ってくれた。こうして、耕作放棄地は増えていく。

空き家を借りる問題:キャンプ場を経営するHさん。過疎地の定住促進はむつかしい。なぜかというと、地元の人たちに、移住者に来てもらいたいという意識がない空き家があっても、売ってくれないので、貸家となる。そのままでは住めないので、移住者がお金をかけて補修して快適な暮らしをしていたとき、家を返してくれという場合もある。これはくある事例だ。なので、いつか返さなくちゃいけない。だから、本格的な補修はできない。

子育てと教育:学校の問題が大きい。中学まではいいとしても、いい高校に行こうとすると、まちなかになる。片道2時間以上かけて通うのはたいへん。まちなかにアパートを借りて、母親と子どもが住むようになる。生活費を稼ぐために、母親はパートの仕事に出る。やがて父親も田舎の家をたたんで、まちなかで暮らすようになる。こうして人が減っていく。

閉塞していくばかりのようにみえる。しかし、なにか可能性はないだろうか。

田んぼは、草ぼうぼう。耕作放棄地は増えるばかりだが、これが宝になる可能性はある。まちなかの人たちが耕作放棄地を耕して、安心安全な食を確保する道。それは、不可能なことではない。楽舎としては、今年から20年間、放置された田んぼと畑、4反(4000平米)を借りて、お米と大豆を作る。

空き家は、どうしたらいいか。他人に貸すのは渋っても、行政が買ってくれればすんなりいきそうな気がする。行政が買い取って、補修する。それを若者夫婦の移住者に提供する。10年済んだら、無償であげる。そんなことをしている自治体もあって、成果を上げていると聞く。

学校の問題。廃校の流れはとまらない。あと10年もしたら、インターネットのeラーニングで、ずいぶんと環境はかわる。山里でも学習の成果は上がるかもしれない。そうして、偏差値主義でのいい学校に行く、いい会社に行くという流れも、変わっていくかもしれない。学びたいことを、自ら学ぶ道の可能性が増えていくと思いたい。そういう意欲的な人には、山里暮らしは向いていると思う。

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