日々のエッセイ
7.242018
近くに実家があるかないかで、子育てのたいへんさがちがう
近くに実家があるかないかで、子育てのたいへんさがちがう。助かるのは、自分の母親(おばあちゃん)が近くにいること。母親にしても、娘が近くにいると、なにかとありがたい。
まあ、同居していればラクだろうけれど、それはそれで互いに気を使う。
たとえば片道クルマで1時間以内にいれば、助かる。ちょっと子どもを安心して預けられる。他人の家となると、預けるほうも預かるほうも気を使う。
これが、近くに親戚やじいちゃんばあちゃんがいないと、たいへんだ。平日は夫が仕事に行くと、お母さんひとりに負担がかかる。幼い子が二人も三人もいたら、もうたいへん。
山里は美しい清流、山、森、広い遊び場。そのまま冒険ランド。子供の教育には最適なのは間違いない。
しかし、パラシュートで落下するように、なんの地縁・血縁もない中に移住してくるとなると、近隣にじいちゃんばあちゃんがいない、親戚もいない。そのあたりがたいへん、ということになる。
Aさんの場合:数年前に春野に移住して、田舎暮らしを楽しんでいた。空き家探しもお手伝した。とってもいい家が見つかった。お金をかけて改修もした。幼い子が三人できた。けれども、今年、比較的便利なまちのほうに移ることになった。やはり子育てのたいへんさが要因だと思う。
Bさんの場合:やはり春野に移住してきて、子どもができた。しかし、学童保育がないので、仕事に出られない。やむなく、学童保育ある比較的便利な町なかに移住することになった。
かつての日本は、大家族。じいちゃんばあちゃんがいた。きょうだいもたくさんいた。親戚もちかくにいた。近隣には、子どもはたくさん。遊び仲間がいっぱい。集落で子育てするような時代があった。
もうそういう時代はない。ほとんどが核家族。そして、都会もさらにシビアーかと思う。都会は遊び場が少ない、クルマも多くてあぶない。アパート暮らしだと、子どもがどすんと飛び降りたり泣いたりすれば、周囲に迷惑をかける。すごく気を使う。萎縮して子育てをしなくちゃいけなくなる。そして、保育所は満杯状態で空きがない。
Nさんが来てくれた。あかりが来年、もう幼稚園なので、幼稚園の体験のチラシを持ってきてくれた。幼稚園のお子さんが二人いる。玄関でそんな話をしたのだった。
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