日々のエッセイ

過疎化のひとつの風景なのだが

あかりを保育園へ連れて行った帰りに、郵便局の前を通る。すると、Mさんがハガキの投函に来ていた。元気ですかと声をかける。これは久しぶり、局の前のベンチに座ってしばし雑談する。

近所の人が通りかかる。自然と立ち話が始まる。なるほど、郵便局というのは、地域の寄り合いの場にもなりうるんだなあ。室外に椅子と机があって、日向ぼっこできるような場であれば、もっといいが。
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Mさんは、84歳になる。今年、夫を亡くし、数年前にはたったひとりの頼りの娘を亡くした。いまはまったくのひとり暮らしだ。クルマは運転できない。自転車は倒れたら危ないので、もっぱら歩くのみ。昨年は、腰の圧迫骨折で三ヶ月、入院していた。いまも足腰が痛いというのでリハビリに通う。しかし、バスの乗り継ぎなどで、通うにも一日がかり。

最近は、 S 病院のデイサービスに、週に一度、期間限定で通っている。市の事業のようで、病院まで往復50キロもあるが、タクシーが送り迎えをしてくれて、費用はいっさいかからないという。

往復2時間ほどの距離だが、タクシー車中で、気のあった仲間とのおしゃべりが楽しいという。ついでに、買い物に寄れるといいねと言うと、難しいのだという(市の委託事業なので、目的が外れると問題になるのだと思う)。
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Mさんは言う。84まで生きてこられて、それで十分。もうあとは付録だと思っている。けれども、いつまで元気でいられるか。生きていられるか。かつては5年単位で人生を見ていた。こないだまでは、一年単位。あと一年、生きていられるかどうか、と。しかし、いまは月単位だという。

今月まで大丈夫か、と。そして、ボケたらどうしよう、徘徊したらどうしよう、倒れたらどうしようと、いつも考えているという。
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時間はたくさんあるし、頭の明晰な方だ。それじゃあ、この近くのデイサービスに週一にきたらどうか。クルマで送り迎えしてもらえるし、食事も風呂もある。のんびりお喋りと読書でもしたらいい。ついでに、うちの事務所にも寄ってもらい、おしゃべりしてもらってもいいと思う。ということで、デイサービスに連れて行って、マネージャーに紹介した。

要支援2ということで、通える資格はある。週1は利用できるという。費用は、ざっと月に2千円もかからないようだ。

また、ちかくのまほろば図書館(私設図書館で8月にオープン、ボランティアで運営)にも案内した。ちょうど、館長のE医師も歩いていたので、紹介した。
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全国の過疎地のひとつの風景だ。歩いているのは、ほとんどお年寄り。ひとり暮らしも増えた。空き家も増えた。店はなくなり、バスなど交通機関もなくなり、そうして、みんな次第に身体は弱っていく。救急車の音はよく聞く。ドクターヘリも、月に一度か二度は降り立つ。

子どもの姿は、ほとんどみかけない。来年のあかりの幼稚園の同級生は、5人のようだ。仕事がないので、若い人は出ていく。高校となると、ほとんどがまちなかに行く。そして、下宿かアパートを借りる。一人じゃ心配なので、母親も行くことにもなる。

そのうちバス路線もなくなる。もとより電車も通ってない。年をとると車の運転は危ない。病院は遠い。往復50キロや100キロ。山里は、子育て環境としてはいいとは思うが、保育園がなかったり、一山越えた先だったり、学童保育もなかったりする。廃校(小学校)はこの数年で二校ある。
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こうしたことは、大きな流れであり致し方ないこと。どうにかしようとか、活性化しようとか、いっても難しい。嘆いても文句を言っても、なんとかしようとしても、どうしようもないのは事実。

縁あって山里に暮らしているわけだが(東京から移住して8年だ)、人生模様、生きざま、暮らしのありよう、老いていく姿など、わがごとととらえて、人生のありようを学んでいくところ。

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