日々のエッセイ
8.302016
行動原理は、「縁にしたがって」だ
こういうことをしたい、と強く願ったりビジョンを描くことがたいせつ。ありありとイメージして、思いを深くしていけば、現実は動く。いわば「引き寄せの法則」「思考は現実化する」。そういうありようがある。
ぼくの場合は、漠然とした思いはある。けれども、強く思うほどのものは、ない。行動原理は、「縁にしたがって」だ。やってきた出来事、出会った人、そのときの思いつきで動きだす。
あれこれと企画するけれども、訪ねてきたひとに協力していくうちに、じゃあこんな企画してみようかな、雑談している中で、じゃあひとつやってみようか、ということではじまる。
あとは、流れにしたがって、というところ。うまく流れなかったら、おしまい。流れがスムースになれば、それはそれで、結構なこと。そんな感じだ。
田舎暮しは、もともと漠然とした思いはあった。きっかけは、ちょうど豪雨の日、友人と話していて「田舎暮らしもいいなあ。そういえば、春野町っていい名前だな」とひらめいたことがきっかけ。じゃあ再来週、ためしに物件さがしてみるか、ということではじまった。7年前の今日だった。
いますすめている定住促進も、友人が訪ねてきて、田舎暮しをしたいというので、空き家を案内しているうちに、はじまった。次々と友人が訪ねてきた。そうして、口コミで伝わって、いろいろな人のお世話をしているうちに、動き出した。いつの間にか、NPO法人まで立ち上げることになった。
田んぼや畑を始めたのも、友人が、借りた田んぼをできなかったので返すという。それはもったいない、みんなでやってみよう、ということではじまった。アイガモも、どうせやるならおもしろことを、ではじまった。いまの駒大生のフィールドワークのサポートも、大学の先生が取材にきてくれたことがきっかけだ。
まあしかし、やってみたら、机上のプランと現実とは大きくちがう。条件は刻々と変わるのだ。うまくいくわけがない。こんなはずじゃなかった。思ってもみなかったことばかりだ。
でもその「起きてくる・押し寄せてくる現実」とのダンスが醍醐味だろう。経験していくと、こういうレベルの思いつきは、うまくいかない。こんな感じですすめていくと、うまくいく。こんなことが起きると、難しい。──そんなことがわかってくる、みえてくる。そうして、スキルは練達にむかう、ネットワークもひろがる、おもしろい人との出会いがある。
継続しなければ意味がない、といわれる。打ち上げ花火じゃいけない、と。たしかにそうなんだ。けど、いろいろやってみないとわからない。最初から、継続を考えてやろうとすると、重たくなってしまう。ひとつきっかけとして始めてみて、うまくいけば続く。おもしろかったら、続く。難しければ、いろいろ工夫したり変えていけばいい。だが、つらくて重たければ、歯を食いしばって無理してやる意味がない。そう思っている。
親鸞の語った「歎異抄」に、こういうことばがある。浄土真宗の深い教義とは、関係なく、このことばが好きだ。「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あればはなる」と。
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