日々のエッセイ

森のないことが残念すぎる

山里暮らしの魅力は、その自然の豊かさにある。空気が澄んでいる、星空がきれい、清流がながれている。森がある、里山がある。

しかし、山里に6年暮らしてみて、いつもため息が出ることがある。ああ、ざんねん。くやしい、と。このあたりの山里には、致命的に欠落しているものがある。

森だ。森がないのが、いたすぎる。

いや、森はある。森ばかり。けれども、それはほとんどが人工林。スギ・ヒノキの針葉樹ばかり。それが密集している。間伐されずひしめきあって息苦しい。陽は射さず下草は生えない。動物や昆虫はほとんどいない。鳥もいない。紅葉することはない。

ぼくのイメージしている森は、月夜に歩きたくなるようなところ。小さな湖があればなおいい。樹の下で食事したり、楽器を演奏したり、そんな森。ところがスギ・ヒノキの人工林は、その下をまったく歩く気にならない。

どうしてそうなったか。これは、ひとつは川の氾濫をおさえる治水のために、盛んに植林をした。それが成長の早いスギ・ヒノキであった。そうして、それらが生長すると高値で売れた。とくに、ここ天竜では、天竜美林として有名になった。

広葉樹があっても、売れることはない。せいぜい炭にする程度だ。みんなお金になるスギ・ヒノキにしようとした。建築ブームもあって全国的に、木材の需要が高かった。

みんな広葉樹を伐り倒して、スギ・ヒノキを植えた。ああ、もったいない。それらが、成長した。しかし、その頃には、木材ブームは去っていた。安い南洋材が入ってきた。こうなると、売れない。伐っても赤字にしかならない。それで、間伐しないで放置林となる。ますます密集して、暗い森となる。

東京にいくと、いい森がある。林業などありえないので、広葉樹がたくましく成長しているのだ。武蔵野の雑木林などすてきだ。高尾山の森、平林寺の森、新宿御苑の森、東大本郷の杜もなかなかいい。

こんな山里に暮らして、その不便さと引き換えに美しい森があれば、こんな幸せなことはない。それがないのが残念すぎる。だが、もはやどうしようもない。

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