日々のエッセイ
6.222017
カルマ・ヨーガの山里暮らし
ラブファーマーズ・カンファレンス(有機農業者の集い)が、今年も春野で行われる。今年で三回目だ。全国からはるばる春野の山里に訪れる。
主催者の天野くんから、今回の企画のひとつに、マインドフルネスをテーマにいれたいという話があった。マインドフルネスの講座とかシンポジウムのお手伝いをさせていただくことになるかもしれない。
マインドフルネスは、価値判断をいれないで、あるがまま、いま・ここに気づくというありかた。ひとつの理想は、ソローのような森の暮らし。伊那谷の仙人とよばれた加島祥造さんのような暮らし。
そんな生き方をしようとすると、山里暮らしが適している。山里には美しい自然があり、ゆったりとした時間が流れる。
そうして、まさに有機農業はマインドフルネスだ。農薬と化学肥料を使わないので、生物多様性の環境にやさしい暮らしとなる。自然のなかで土と対話し、生きものたちと呼応する日常。自分の身体の動き、心の動きをいつも観察する、気づくというようなことにつながる。
……のだけれども、しかしそこはむつかしい。余裕があって、趣味の家庭菜園レベルならそれは可能だ。けれども収益がないと暮らしはつづかない。現金収入につなげていかなければ、やっていけない。
人力だけでやろうとしたら、ものすごい手間がかかる。人力では生産性がともわないので、トラクターやらコンバインやら大型機械が必要となる。買ったり借りたりメンテナンスにお金がかかる。肥料代もかかる。販売のためのルートづくりもある。
ということで、なかなかマインドフネスとはいかないのが実情だ。どちらかというと、カルマ・ヨーガ(行為のなかに気づくヨーガ)みたいな暮らしになる。
なにしろ行動を起こすことがたくさんある。動かなくちゃはじまらない。掘り起こす、播く、動かす、運ぶ、持ち上げる。気にかける、観察する。自然が相手だから、うまくいかないことも多い。成功も不成功も、達成も未達成も、それぞれあるけど、それは仕方がない。ただ、ここをちゃんとやろう。きょうをしっかりやろうという暮らしである。
まあ、マインドフルネスというあり方は、都会であろうが山里であろうが、関係ない。どんな環境でも、どんな行動でも、寝たきりであっても。可能なこと。いまここに気づくだけ。
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