日々のエッセイ

インドネシアの人たちと村人との交流会

    

日本兵インドネシア人の妻。この写真を見ると、なんだか泣けてくる。
彼の名は村上金五郎。宮城県仙台の出身だ。若くして南方戦線に行った。敗戦になっても日本に帰らず、インドネシア独立運動で戦った。やがて村の娘と結婚し子供をもうけた。そして、インドネシアの地に骨を埋めた。
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戦争はかなしく愚かなことである。しかし、戦争によってあらたな生命がもたらされた。その孫の夫妻は日本にやってきて、岩手県で仕事をし、やがて浜松にくる。現在は浜松の駅前で露店をひらく。
その子孫たち7人が、超過疎地の山奥の集落(磐田市万瀬)に移住することになりそうだ。昨日、村人との正式な対面式が行われた。長男(3人家族)は沖縄におり、テレビ電話で参加してもらった。
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かれらは、仕事を持ってやってきたのだ。集落にある食品加工所を借りてハラール食品(イスラム教徒のための厳格な食物)を製造するためである。
たいせつなのは、村人との交流である。その第一歩が、今回のインドネシア料理をたべていただこうということだ。契約も内諾し(正式には来週が締結)。中東ジャーナリストや、BSのディレクターも取材に来てくれた。事前にZOOMで、春野・沖縄・東京・神奈川を結んで会議も行った。
集落のまとめ役、この食事の場づくり・後片付けなど、山暮らし倶楽部の杉山さん、原崎さんなど、多くの人たちが尽力してくださった。
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日系人とはいえ、外国人である。言語も風習もちがう。なにより、敬虔なイスラム教徒だ。1日5回も深く心から礼拝する。絶対に酒を飲まない。人に対する誠実さ・自分に対する厳しさ、心の内面の律し方は、日本では失われた武士道を感じさせる。
こんな遠州の山奥が、外国人との協働、異文化との共存共栄、インバウンド、そんな流れの「さきがけ」となってゆく。日本とインドネシア、さらには、全世界のイスラム教徒にひらかれた道づくりへの一歩となる。
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やがて適当な地に、インドネシアのコミュニティ、モスク(礼拝所)、イスラム学校、自給自足のフィールド、インドネシア人のツアー滞在のキーポイントができていくかもしれない。そうなったらおもしろい。ぼくは、そのために点と点をつなぐ、人と人を結ぶだけ。

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