山里のなりわい

  1. 学生が春野町でフィールドワークをしたい、と

    駒沢大学の長山先生のゼミがこの夏、春野町でフィールドワークをしたいということで、やりとりをしている。30名の学生が春野に滞在して、各研究テーマで山里の人を訪ねる。たとえば、A班「林業・バイオマス」、B班「起業・社会的企業家」、C班「住民コミュニティ(山里暮し)」という感じ。その成果を、第二回「ラブファーマーズ・カンファレンス」の場で発表する。この集いは、昨年、春野で開催した。[続きを読む]

  2. 『死んだらおしまい、ではなかった』という本をもう一度読みたい、と

    『死んだらおしまい、ではなかった』(大島祥明著 PHP研究所)という本をもう一度読みたい。あの本の内容が印象的で、そのとおりだと思った。いまおやじがなくなって、もういちど読みたくなった──先日、亡くなった天野さんの息子さんから電話があった。天野さんの葬儀には、山里の同じ組として、お手伝いさせてもらった。故人には、たくさんのお世話になった。どんな本か。[続きを読む]

  3. トラクターのなかった時代は、牛や馬で耕した

    トラクターに乗って、田んぼを耕し、沢の水を引いて土をとろとろにかき混ぜて代かきをする。田んぼの中をぐるぐるまわり、行ったりきたり。どどどどーと重低音と体を揺する振動。まあ、結構な瞑想状態になって、頭は空っぽになって心地よい。トラクターのなかった時代は、牛や馬で耕したわけだ。そんなに古い時代ではない。牛で耕したという方が、ご近所に数人おられる。先日、亡くなったご近所の天野さん。[続きを読む]

  4. 葬儀も儀式や形式にこだわらず、シンプルで心の通うものに

    葬儀がおわった。あとは、手伝いの下働きのおなじ組の連中との精進落としで、酒と食事(ぼくは酒を絶ったので飲まないけど)をいただく。となりのMさんがクリスチャンだったので、仏教とキリスト教の葬儀について語りあった。キリスト教からしてみると、仏教の葬儀は不可解だと思う。まず、葬儀に費やされる時間のほとんどがお経と陀羅尼(真言というか呪文のようなもの)。それは荘重で厳粛だが、まったく意味がわからない。[続きを読む]

  5. お通夜の立ち話

    きょうのお通夜の仕事は、ぼくは、交通の誘導係。誘導棒を持って、クルマを指示する。いろいろな人に会う。80歳の鉄工場のおじさんとの立ち話。「さみしくなりますね。ひとり暮らしのお年寄りが多くなったですね」「クシの歯が欠けるようにいなくなっていくよなぁ。[続きを読む]

  6. ご近所の方が亡くなって

    向かいの家の天野政孝さんが昨日、亡くなった。86歳。山の原木を買い付けて、販売する仕事をしていた。間質性肺炎を患って、入院。そんなに重症とは思っていなかったので、驚いた。ランをよく山に連れて行ってくれた。昨年、うちの敷地で炭焼窯を作るとき、ユンボで毎日のように整地してくださった。遺影写真でいいのがないか、というのでさがしてみた。これは5年前の写真。[続きを読む]

  7. 山里は草刈りがたいへん

    きょうは草刈り。わがやの敷地は、およそ1,700坪。刈らなくちゃいけない土地は、1,000坪はある。毎年毎年、えらいことだ。いつもは、背負い式のエンジン草刈機で刈る。刃はチップソーか笹刈刃。きょうは二枚刃にしてみた。プロペラのような刃だ。 これがとてもいい。破壊力がすごい。手応えが爽快。草を粉砕する感覚がここちよい。クズのツルも絡まない。ただ、刃が大きいので。[続きを読む]

  8. 山里暮らしの要諦は、なんでも助け合う友人を日ごろから持っていること

    山里暮らしは、若くて元気なウチはいい。けれども、年をとると身にしみてくると思う。買い物はなんとかなるとしても、問題は病気やケガのときだ。診療所が近くにない、病院がない。クルマに乗れなければ、バスでの移動もたいへんだ。タクシーを使えば、数千円になる。Mさんが訪ねてくれた。82歳。かなり耳の遠い90歳の夫と二人暮らし。近ごろ退院したばかり。布団を干していて転んだ。[続きを読む]

  9. 山里での「なりわい」を開拓していく人たち

    山里では仕事がない。畑を耕し田んぼをやれば、自給自足の道もある。空き家を借りればタダ同然。生活費はやすい。環境もいい。けれども、どうやって現金収入を稼ぐか。勤める会社がない。仕事がない。ひとがいないので、店をやってもお客は来ない。貯えがないと暮らしていけない。そういう心配がある。まあ、ひとり暮らしなら、なんとかなるかもしれないけど。家族がいたら、子どもがいたら、それはお金がかかる。[続きを読む]

  10. 広大な遊休地を活用したビジネスの可能性も

    この山里は過疎地で、人がいない。ふんだんに土地はある。わがやの敷地は2,000坪くらい。畑や山はものすごく安い。高齢になって畑はできないので、耕作放棄地は広がる。山は管理にお金がかかって、木を伐っても赤字になるだけ。山をほしかったらあげるよ、と言われたこともある。そんな広大な遊休地を活用したビジネスの可能性は、ないことはない、と思う。[続きを読む]

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