日々のエッセイ

山里を「行きつけの田舎」に

山里はいたるところ耕作放棄地ばかり。休耕田、荒れた畑、やめてしまった茶畑。そうして、間伐されることのない密集したスギとヒノキの森。しかしこれらは、たいへんな貴重な地域資源になりうる。というのは、いつか必ず食糧難の時代が来る。食料はあっても、安全な食がたもたれなくなることもある。安い外材が輸入できなくなって、木材不足の時代だってくるかもしれない。

だから、いま無価値のような過疎地の田畑や森は、地域資源であり宝となりうる。けれども、過疎と高齢化で、農地や森を担う人がいない。ますます荒れていくしかない。宝はくすんでいる。ただ、可能性はないことはない。この春野町など、〈まちなか〉まで、車で1時間半だ。道路はバイパスがあって、ストレスがすくない。なにしろ空き家が、たくさんある。独居老人も多いので、これから先、もっともっと増えてくる。そうした空き家をみんなで借りて、週末に滞在して畑仕事、田んぼを耕す。そうした道もある。

そうなったら、集落も活気づく。〈まちなか〉の人も、〈行きつけの田舎〉ができて、行動半径がグッと広がる。子どもたちの情操教育にもいい。なにしろ田んぼは楽しい。無農薬でやれば、子どもは泥んこあそびが存分にできる。いろんな生きものたちがやってくる。タニシ、イモリ、ザリガニ、ドジョウ、メダカ、鮒。生物多様性のフィールドだ。生きがいとして、心身のよみがえりとして、安全な食を確保するための、田んぼ。そういう世界がある。これは、どこかに旅行するよりも、お金がかからず、すごく楽しい体験になることは間違いない。

だが、農業だけで食っていく道は、はなはだ険しいのは事実だ。安くて大量なものをせっせと作るというあり方ではなくて、有機農業などに特化して、ほんとうに安全なものを、もとめる消費者に絞って販売するという道もあるかと思う。無農薬・無肥料のお茶など、ぜひほしいという人は、全国にたくさんいる(なにしろお茶って、農薬がすごいからね)。

月に数万円の仕事をいくつも展開していくこともできる。農業しながら、ときに山の仕事、あるいはインターネットを活用しての直販、縁側カフェや農家民宿。山里でのなりわいの力を示す工夫は、いくらでもあると思う。そうした実践しをしている人たちも、ちゃんといる。あるいは、暮らしていけなくてもいい。ときどき、訪ねて体験したいということでもいい。若者が、学生がなにか貢献したい、体験としてやっていきたいということもある。

では、具体的にどう展開していくか。各論となると難しい。たとえば、耕作放棄地バンク、空き家バンクを充実させていく。耕作をしたい人、移住したい人に結びつけていく。マッチングの機会を作る。希望者には、ワンストップサービスで情報を提供する。役所に相談に行くと、あちこちたらい回しにされて、それぞれが連携が取れないのは困る。そうして、地域との付き合いが、とても大切なので、地元につなぐためのお世話をする。〈まちなか〉の人と地元の人との、両方の気持ちがわかってお世話する人の存在がとてもたいせつ。……まあ、そんなことを考えている。NPO法人楽舎の次の展開になりそうな気もする。

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