日々のエッセイ
2.82018
山里の古い家は、いろいろ宝庫なのだ
寒いので町の風呂に行く。大きな風呂はあたたまる。サウナもある。友だちと出会ったり、新しく知りあいになったりする。帰りには図書館に予約本をとりにいく。
風呂では、ちょうどデザイナーの友人がいた。かれが作家の中上健次に会ったときのこと、熊野大学のこと、古文書のことなど雑談。山里にいると、なかなかこうした話のできる人は少ない。
脱衣所で目の合った人に話しかけると、地元の人。ここの風呂は、移住者とか、春野に釣りとかカヤック遊びの人が利用するが、地元の人は、あまり利用しない。
その方は、いま家を取り壊して新築するところ。なので、ここの風呂を初めて利用するという。
「へぇぇ、古い家ですか……」
──150年前の家だよ。
「それはすごい。煤竹(すすだけ)とか、なかったですか」
──あったよ、でもみんな燃やしちゃった」
「ああ、もったいなや。太い柱もあったでしょ。
──うん、あったよ。200年も前のケヤキの臼も、みんな燃やしてしまった。古い引き戸とか電気工事の人にあげてしまったよ。
「うわーー、もったいない。もったいない。胸が痛みます」
──本格的に壊すのは来週だから、見に来ればいいよ。ほしかったらあげるよ。
そんな話だった。古材を保管しておけば、高い値段で売れると思う。木工やら、なにかと活用できる。まあ、もらっても保管するのにたいへんだし、見るだけになると思うけど。
こないだは、Oさんが古い引き戸を処分するというので、見に行くと、明治のときの新聞が出てきた。ものすごく貴重だ。あやうく燃やしてしまうところだった。
Kさんの家では、ふすまの中から、古文書が出てきて、それは鎌倉時代の武蔵七党の由緒あるものだった。燃やすところだったらしい。国学院の先生たちが、調査に来たといっていた。
そんなふうに、山里の古い家は、いろいろ宝庫なのだ。家の解体とか、古いふすまの処分とか、そういう情報が入るようにしたい。「はるのびより」(春野町の情報誌、池谷が発刊。全戸配布する)の次号で呼びかけてみよう。
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